環境が大事
2024年09月21日
競争する環境があるとその実力が向上すると思われている。私も、親や先生たちに何度も言われてきて、そういうものなのだろうと思っていた。
競争することで進歩したという物語もたくさんテレビのドキュメンタリーとかで見てきた。
競争相手というライバルがいると強くなるという言い方もある。そういうことは、確かにあるだろうと思うけど、自分がそういう場にいるのは大変だなと、思ってしまう。
だって、自分が向上すれば、競争相手も頑張って向上するってことは、きりがないじゃないかと考えてしまう自分がいた。
できることなら、つらい思いをせずに勝ちたいとか、戦わずして勝つとかのほうがいいような気がする。
勝ちたくないのかと言えば、それは勝ちたい。
ゲームとか試合とか、勝ちたいがなかったらルールも成立しないし、面白くないと、思う。
勝ちたい、向上するのはうれしい、進歩も楽しい。
このことを落ち着いて考えていくと、ますます、競争がいちばんいい方法だとは思えなくなる。
相手より勝つのが競争だとしたら、それは競争相手が失敗したり不運な出来事にあうのも成功である。どんどん相手が弱くなっていったら、競争に勝つためには、こんなにありがたいことはないということになる。
椎茸生産の競争で言えば、ライバルが猛暑で椎茸がうまく育たなかったり、生産者が高齢により作業ができなくなったり、地震や台風などの災害により生産が出来なくなったりすることが考えられるのだろうか。
同様に、こちらとしてもなにかがうまく行くことよりも、失敗しないことのほうに注意を向ける必要がある。
これは、結局、なんにも向上させてないんじゃないだろうか。
サッカーの選手たちが、強い海外のチームに参加したり、野球選手がメジャーリーグを目指したりするのは、そこに競争があるから、というよりも、向上できそうな環境があるからだと思う。
周りの仲間たちが強くて、強くなろうとしていて、憧れたり、悔しがったり、学んだり、教えたり、練習したりしている。そういう場を求めてそういう環境に行きたいと思うのではないだろうか。そこに競争の要素ももちろんあるけれど、重要なのは環境のほうなのだと、昨日のドジャースの大谷選手の活躍を見て考えた。彼はそういう場を求めて、日本のプロ野球からアメリカのメジャーリーグに行き、エンジェルスからドジャースに行ったのかもしれない。
向上できる環境の中では他人の失敗も発想も学びであると思う。競争ではなく、切磋琢磨という言葉の方がなんかしっくりくる。
いまやりはじめている作業センターふじなみの椎茸培養環境の向上により、質の良い椎茸がたくさん採れることを願っている。